父さんもよく踊っていた 100日ブログチャレンジ〜18日目

買い物から帰ってきた。

今日は久しぶりに食べたかったソフトクリームが食べられてゴキゲン!

ゴキゲンなので、歌って踊り出す。

勝手に作詞作曲する。

「楽しい未来が楽しみ〜」と何故か歌い始める。

よくよく考えてみるとなんじゃそりゃって歌で歌いながら踊り出す。

そういえば、父もよく踊っていたなと思い出した。

目次

朝からパッパラッパッパー

父は朝から騒々しい。

朝イチでパッパラッパッパーっと歌い始める。

ついでに体もノってる。

「んもー。朝からうるさい。やめて?」

私と母が言い出しても父はそのやめてという言葉が合いの手と勘違いしたかのように歌い始める。

ちなみに父は低血圧である。

低血圧だから不機嫌、緩慢はいい当てはまらないんだなと思う。

それは毎朝続く。

私が起きて朝ごはんを食べ始める頃に父は仕事に行っていた。

父が仕事に行くと、

「やっと静かになった」

と母と私はちょっとホッとする。

でも、パッパラッパッパー!と聞いたこともないような歌が出てこないと今度は心配になる。

父は体調が相当悪いとパッパラッパッパーが出てこない。

相当悪いと。

そう、相当悪いとである。

ちょっと悪い、や悪い程度だと歌い出す。

そして、軽く踊り出す。

私の中で父はそんな人である。

歌い出さない父

父は慢性肝炎だった。

それは私が高校2年生の頃に判明した。

健康診断を無視し続けていて、相当体調悪いにつながったのだ。

確かに顔色が黄色い。

これが黄疸ってもんか。

そんな見本かのように黄色かった。

一時は私、父がどうなるかわからないと覚悟した。

でも。

父は歌い出す。

歌い出さないのは、黄疸が出て相当体調が悪い時。

なんとか、私が大学を出て少し経った頃仕事を早期退職した。

早期退職した頃はまだ全然元気で歌うし、踊るし。

私は就職で実家に帰っていて。

父さん、うるさいよ。

それでも父は歌っている。

朝からソファで寝るようになった

相当辛かったのだろう。

朝はちゃんと起きてくるけれど、ご飯を食べ終わった後はソファで横になる。

体調は、悪そうだ。

そっとしておこう。

そんなこともあった。

食道に静脈瘤ができるようにもなっていった。

私は実家を離れて仕事をすることになった。

その頃、父はあらゆる食べ物の制限がかかっていった。

もちろん、お酒はダメ。

魚のお刺身とか大好きだったけれど、制限される。

だから朝は納豆と漬物とご飯に味噌汁。

お昼はスルスルと食べられるように即席ラーメン。

夜は家族で一緒のメニュー。

それでも食べられないものはどんどん多くなっていった。

パリパリに揚げた唐揚げはダメだった。

せっかく作ったのに。

そうはいっても仕方がない。

たまーに入退院を繰り返す父。

たまーに歌う父。

まだ元気。

ほぼほぼ食べられない

ついに納豆すら制限されてしまった。

何が食べられるの?

そして、静脈瘤でほぼほぼ吐いてしまう。

夏、帰った時。

食欲ないんだよね。

そう、父が食事時に言っていた。

いや、でも食べないと。

そう言っていた年の11月に父は亡くなった。

食欲がなくなるとはそういうことなんだなと思った。

それでもたまに帰ると元気そうに憎たらしい一言をいつも私に言ってきていたのに。

歌って踊るから元気だった父

そんなに体調は良くなかったと思う。

それでも父は歌って踊っていた。

今日、私もゴキゲンになって歌って踊っていた。

そして気がついた。

父はゴキゲンだから歌っていたのじゃないのかもしれない。

歌って踊っていたからゴキゲンになっていたのかもしれない。

順番が逆だ。

自分をゴキゲンでいさせる方法。

それが父にとっては歌って踊ることだったのではないだろうか、と。

そうか。

最近の私はうまくいかなくてウダウダウダウダしてた。

ウダウダするのが嫌で、外に出ていってみようと思っていたけれど。

違った。

体を動かして、歌うからゴキゲンになる。

自分がゴキゲンでいさせられなくて、誰がゴキゲンにしてくれる?

自分しかいないじゃんか!

そう考えると、父は体調が悪くても、機嫌が悪くても歌っていた気がする。

相当悪い時以外。

本当のところはもうわからない。

でも、歌って踊るからゴキゲンになる。

その法則は私にも根付いているようだ。

私のスマホには一枚だけ父の亡くなる直前の写真がある。

それ、一枚だけだな。

もうちょっと写真が欲しい。

元気だった時のやつ。

今年のお盆に帰ったら父の写真をちゃんとみよう。

そして、毎朝父のように歌って踊ってみたらどうなるだろう?とも思っている。

#100日ブログチャレンジ

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この記事を書いた人

元教師のビデオアンドフォトグラファー。北海道苫⼩牧市出⾝。2014 年あおもりムービーコンテスト知事賞受賞。教員を続ける傍ら、映画美学校初等科、⾼等科に通う。45歳にして東京藝術⼤学⼤学院映像研究科映画専攻編集領域に合格を機に教員を退職。2022年、同⼤学院を卒業する。現在、フリーで映像編集や映像制作、写真撮影を続けている。

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